2013年12月23日
<1>姉さんと私と彼
はいつくばった姉さんが畳をかきむしり始めるのに対し、
『どうしたのですか?』と尋ねるまでもなく、私の質問を先回りして、
「降ってやる! 空から」と彼女は言うのだ。
『降ってやる!』とは言っても、決して飛び降り自殺を企てたりしてるわけではないのは、畳に爪を立てているのを見れば分かる。
一番外側の畳表に穴を開けたところで、その下には三〇キロ以上の稲わらを平約四〇センチまで積み重ね、五センチの厚さまで圧縮して作った畳床が待っているわけだし、だいたい、例え畳床に穴を開けられたとしても、更にその下には床板があるのだから。
そもそも、飛び降り自殺をしたいのなら、そんな手間なんてかける必要は無いのだ。
ここは私の部屋で、私の背後の窓は、二階の高さにあるのだから。
ここは私の部屋で、私の背後の窓は、二階の高さにあるのだから。
私を突き飛ばしてダッシュ!
そして、そのままの勢いで駆け出すだけでいい。
空へと。
「ねえ、姉さん?」
「……何? 真琴」
「姉さんは、こんなコトがしたいんじゃないかな?」
そう。
姉さんはきっと、こんなコトがしたいんじゃないかって、私は思うんです。
姉さんはきっと、こんなコトがしたいんじゃないかって、私は思うんです。
姉さんのしたいこと。
それってつまり、この世界に姉さんが好きになれるような美少年がいないから、畳の中から繋がるハッピーワールドの空に飛び降り、そこで偶然道を歩いているお人好しの美少年のもとに着地しようっていう、そういうことなんじゃないですか?
「あー、あーそれ!」
手を打つ姉さん。
手を打つ姉さん。
そして彼女は、満足げに部屋を出て行くのだった。
(『降ってやる』はどうした?『降ってやる』は)
そしてだ。
私は振り向く――窓際のそこには机。
机の引き出しが、姉さんが、ばたんとドアを閉じて間もなく、がたがた鳴り出して、
「いいですよ。出てきても」
私が応えるのと同時に開いた。
「いやいやいやいや」
机の、深さ十センチも無い引き出しから現れたのは、人の頭だった。
成人男性――と言うには、ちょっと若い。
ちなみに引き出しから出ているのは頭だけだけど、ちゃんとその下には手足も胴体もある。
ぱっと見、一七、八歳といったところで、ずばり、美少年だ。
それも、いかにも姉さんが好みそうな細身で押しが弱そうな感じの。
私は言ってやった。
「どうです? あれが姉さんの若き日の姿なのですよ」
「いやー、昔から激しい人だったんだなあ」
「ふうん…未来では、『激しい』が『馬鹿』と同じ意味なんですね」
「ははは、ツラいなあ」
と、嫌味にも全然こたえないその人は……その時だ。
「ねえねえ、何それ何それ!? 未来って?」
迂闊だった。
姉さんがドアを閉めるのを目で見て安心して、その後に来るはずの、ドアノブが戻る『かちゃり』という音が聞こえて来なかったのには、迂闊にも私は、全く頓着していなかったのだった。
きっと姉さんは、部屋を出たあとドアをちょっとだけ開け、息を潜めながら(それでも心の中では「うひひひ」とか呟きつつ)、そっと中の様子を覗っていたのだろう。
飛び込んできた姉さんに、
「いやあ」
「いやあ」
と、私と引き出しの中のその人は声を合わせて誤魔化そうとしたのだが、
「ねえねえ、未来って言ってたよね? それに引き出しから顔出してるし、それってあれ? あれ? あれなのかなぁ!?」
ダメだ……姉さんは、物事を自分の理解したいようにしか理解できない人で、こういう人に下手なごまかしを言ったところで、事態を余計にこじらせることにしかならない。
「じゃあ……」
「いいです。私が言います」
その通り、私は言った。
この人は――
「この人は、見田村宏さん! 未来から来ました!」
反応は――
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
ばか笑いして、それから息も継がずに姉さんは、
「ねえ、歳いくつ? 何歳? 何歳? 何歳? 私、十八歳」
「ねえ、歳いくつ? 何歳? 何歳? 何歳? 私、十八歳」
いきなり、未来もへったくれも無い質問を投げつけ始めたのだった。
「二五歳……です」律儀に答える見田村さん。
ちなみに私は、十五歳だ。
それより姉さんの顔と言ったらデレデレのギンギンで、見田村さんの美貌に一目で興味を持ってかれてしまったというのを、隠そうともしていなかった。
「へー、若く見えるよねー。ねえ、コエンザイム飲んでる? コエンザイム! あと、αリボ酸! あとね、シリシ! シリシ! シリシ!」
「シリシ……それは聞いたことがありませんが」
困惑顔の見田村さんを、一応フォローしなければと、私も口を挟んだ。
「海の天然素材から作られた、バイアグラと同じ効果を誇るドリンク材なのですけど……」
そして、姉さんが台無しにした。
「ま、ぶっちゃけ、おちんちんが大っきくなる薬! おちんち~ん」
おちんち~んと、その言葉の響きがよっぽど面白かったのか、おちんち~ん、おちんち~んと、姉さんはゲラゲラ笑いながら連呼していた……いくらなんでも、あんまりだ!
いつだって、姉さんはあんまりだけど、いくらなんだってこれは、あまりにあんまりすぎる!
私は、頭を抱えながら足元の畳を蹴破った――想像上で。
実際は、握りしめた拳が、ぷるぷる震えたくらいのものだった。
いつだって、姉さんはあんまりだけど、いくらなんだってこれは、あまりにあんまりすぎる!
私は、頭を抱えながら足元の畳を蹴破った――想像上で。
実際は、握りしめた拳が、ぷるぷる震えたくらいのものだった。
一方、見田村さんはといえば、
「もしかして、あれがそうだったのかも知れません……」
って、飲んだことがあるのか。しかもこの淡々とした調子は、こんなの慣れっこって感じで、しかし、それはそうなのだろうなあとも思う。
だって彼は、未来で姉さんと結婚している人なのだから。